25年前になります。1993年11月。
長渕剛のCaptain of the Shipというアルバムが発売されました。
当時の僕は、静岡県で、夜の9時から朝の9時までノンストップでエアコンを作る工場の仕事を辞めた後でした。
その工場では、1個1分でエアコンのボディーが金型から出てきました。
出来たばかりでちょっと熱いボディーの、バリを小刀で取ったり、油を拭いたり、箱詰めをしたりで、処理にかかる時間が58秒。
残った2秒が休憩でした。
しかしトイレに1回行くと、約3分を失います。
エアコンのボディーは当然3個、ラインにたまります。
3分=180秒の仕事を、2秒の休憩時間を利用して追いつこうとすると、
180/2=90
90個の処理をする時間で、90個プラスたまった3個=93個の処理をすることになります。
この90分間は完全に休憩なしのノンストップ。
ちょっと体を壊して辞めた後、僕は何をやって生きていくのか、途方に暮れました。
夜中に、二ツ池、という池の淵に座って、フナが跳ねる音の回数を数える。
ただただ、将来への不安を感じている、不安定な心の日々でした。
1993年11月。
Captain of the Shipを聴きました。
「決めるのは誰だ? やるのは誰だ? 行くのは誰だ? そう お前だ! お前が舵を取れ
お前が行け! お前が走れ! お前が行くから道になる
前へ 前へ 前へ 前へ ただただひたすら前へ突き進めばいい
わかるか! わかるか! お前が決めろ お前がしっかり舵を取れ」
心の中で、いま走ろう!、今日から走ろう!、走って生きていこう!、という衝動が爆発しました。
あの衝動は、今振り返っても、人生最大のものだったように思います。
裸足のまんまで、工場への道を走りました。
安倍川を越え、用宗港あたりの真っ暗な駿河湾の海岸まで、全力疾走。
その日はちょっと海が荒れていて、波の打ち寄せる音しか無いような世界はとても恐ろしかったのですが、
波打ち際にしばらく立っていると、だんだんと心が落ち着いてきました。
そしてなぜか、大学に行こうと思ったのでした。
週刊誌だけは隅から隅まで読んでいた当時の僕は、社会悪について考えるようになっていました。
学部選びに迷いはあったのですが、最終的には法学部を出て弁護士になることを目指し、1995年の春に法学部に入学したのでした。
今日はエアコンを強めにかけながら、医院の床の清掃をしました。
長渕剛が大好きな友人に手伝ってもらいながら、
長渕剛の名曲はなんだ?、という話で盛り上がりました。
やっぱり僕は、Captain of the Shipです。
人生が変わった1曲です。
友人はMyselfでした。
彼も今、おじさん学生として、ある国家試験を目指して頑張って勉強しています。
僕は、彼の1年半後の合格を信じ、祈っています。
それでは、また!。
院長